SCM

健康ブームでメーカーは儲かるか?

明治のヨーグルトの売れ行きが好調で、生産が追い付かないということです。

テレビ番組で、抗菌作用が高いことが紹介されたのがきっかけということです。

筆者の近所のスーパーでも、一時は在庫が払底しましたが、ようやく在庫が戻ってきたようです。

また、ヨーグルトの次はトマト、とSCM(サプライチェーンマネジメント)の混乱が続きます。

さて、こんなに売れ行きが好調ですと、製造元はさぞかし儲かるだろうと思いますが、筆者のSCMの経験ではむしろその逆でした。

食品はいわゆる軽薄短小の製品の部類に入りますが、実は装置産業で、大量一括生産による 規模の経済を追求する産業です。

また、人の口に入るものだけに、品質管理も厳重で、かつ短い賞味期限のために在庫リスクもあります。

このため、ムリ、ムダが発生しないよう、SCMを最適化しています。

さて、そうした体制では、急激な需給変動は最適化を狂わせる原因となります。最適化された生産ラインの能力を超える生産が生じれば、高いコストを払い外注する必要がありますし、同様のことは倉庫にも言えます。

能力に余裕のある工場で作ることが出来ても、需要地から遠ければ、多額の輸送コストが掛かります。

こうしたコストを吸収すべく、普段の倍の価格で売れば、恐らく損はしないでしょうが、ヨーグルトのような日用品でそういう価格設定は消費者の猛反発を買います。

怖いのは、ブームが去った時です。

需要増に対して生産能力を増強した後に突然需要が急減すると、そのコストが回収できなくなってしまいます。

明治のような大企業は資金的にも心配はないかもしれませんが、中小企業で突然前年比数十%、といった需要急増があると、資金負担も大きくなるので注意が必要です。

バッチサイズと合成の誤謬

週末になりますと、自宅にはたくさんのDMが送られてきます。
また、アンケートメールやDMメールもたくさん送られてきます。

自動車や不動産、家具などは、ぜひ週末に足を運んでほしい、という意図があるのでしょう。
その他のDMやアンケートは、比較的時間の多い休日に、ぜひ目を通してほしい、アンケートに回答してほしい、ということなのだと思います。
この考え方は、もちろん正しいと思います。

しかし、読む方にとっては、さすがに時間に限りがあります。
誰でも1日24時間しかありませんし、DMを読むだけで24時間を費やすわけにもいきません。
したがって、おのずと、読まれるDMの数は絞り込まれます。
また、休日は趣味や家族サービスなど、別の用事に時間を費やす方も多いでしょう。
そうすると、読まれないまま捨てられるDMも相当の数に上ります。

送る側は、比較的時間に余裕のある(と思われる)週末に合わせてDMを送っているつもりです。
しかし、皆がそのように同じ行動をとると、読み手にはたくさんのDMが届くことになってしまい、そのほとんどが読まれないという矛盾が起きます。
一つ一つの行動は合理的な目的があったとしても、皆が同じ行動をとると、全体としては違った結果を導き出してしまうことを「合成の誤謬」といいます。

このような状況で、より注目してもらうには、他社と少し違った行動をとることです。
他社が一斉に週末に向けてDMを送る一方で、自社は別の曜日にDMを送るわけです。
そうすると、他社のDMが来ない間に、もしかしたらゆっくり読んでもらえる時間ができるかもしれません。

TOC理論というものがあります。
連続しているモデルの中で、何か制約条件=ボトルネックが生じている場合に、そのボトルネックを解消してアウトプットを最大化しよう、というものです。
ボトルネック解消の方法は幾つかありますが、その一つにバッチサイズを小さくする=ボトルネックの処理能力が低くても柔軟に対応可能になる、という方法があります。

今回の場合、DMの読み手の時間は限られている、ということがボトルネックになっています。
その結果、せっかくのDMが読まれずに捨てられてしまうわけです。
一度にDMが大量に届くことは、読み手にとってはバッチサイズの大きい処理が流れてきたことを意味します。
「バッチサイズを小さくする=DMが集中しない他の曜日に送る」ことも必要かもしれません。

在庫の積み増しは正しいのか?

今回の震災では、高度化された日本のハイテク部品・素材を中心にサプライチェーンがグローバル規模で寸断され、またその全てが十分に回復したとは言い難い状況にあります。
十分に部品が届かないために減産を余儀なくされる企業も未だに多いようです。
この状況下、「ジャスト・イン・タイムの盲点」「サプライチェーンを究極に高めすぎた悪影響」といった議論を見かけます。
その対応策として、「ジャスト・イン・タイム」から一歩後退し、少し在庫を積み増す、といった発言をされるトップ層もお見かけします。

十分な在庫が確保できない今、積み増せる在庫は積み増して、将来の同様の状況に備える、というのは短期的は正しい判断と言えるかもしれません。
部品不足で納品できなければ、収益機会の逸失につながりますし、得意先の信用を失えれば、ほかのサプライヤーに乗り換えられてしまうかもしれません。

しかし、「ジャスト・イン・タイムからの一歩後退」は、本当に正しい選択肢でしょうか。

どのくらいの在庫を積み増すかは、不慮の事故がどのくらい続いても生産をストップしなくて済むか、の予測に基づくわけですが、今回の震災を「想定外」として片づけられない以上、それに対する備えとしては相当程度の在庫積み増しも必要でしょう。
しかし、在庫はあくまでもその、不慮の事故が発生した時のバッファでしかありません。

在庫を積み増してあっても、現在のように供給先の幾つかが完全にストップしてしまっているような状況では、いつかはその在庫を全て使い尽くしてしまいます。
積み増せば陳腐化リスクは大きくなりますし、資金もその分固定化されます。保管料もかかります。
機会損失と信用喪失は回避できそうですが、一方でリスクも増大していると言えるでしょう。
また、皆が一斉に在庫積み増しに走ると、サプライチェーン全体では大きな在庫量となり、その在庫積み増しのために余計に多くの生産が行われ、いよいよ上流で特定の部品なり素材なりが足りなくなることになります。

もし、不慮の事故に備えてリスクを軽減したいのであれば、在庫を積み増すのではなくて、いざという時に供給が途絶えないよう、むしろ複数のサプライヤーを持っておくことでしょう。
サプライヤーが複数あり、地理的にも遠く、またそのさらに上流にも共通のサプライヤーがないようにしておけば、不慮の事故の時にはサプライヤーを切り替えればよいわけです。
もちろん、品質保証や認証、製造ノウハウ、といった観点から、そんなサプライヤーは一朝一夕に見つかるわけではありません。したがって、平時からそうした複数サプライヤーを確保し、かつ自社仕様のための品質確保や認証なども行っておくべきでしょう。

リスクに対する備えは、やはりリスク分散が基本です。在庫の積み増しはリスク分散になっていないように思います。

「買い溜め問題とサプライチェーンについて」

東北地方太平洋沖地震に被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

今回の震災後の買い溜め問題とサプライチェーンとの関係について、かつてコカ・コーラのサプライチェーン再編に関わり、その中核となった機能統合会社のCFOを務められた古谷文太氏の興味深いツイートがあります(2011年3月22日)。今回、ご同意を頂きまして、まとめて転載させていただきました。
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震災後の節電や買い溜め問題で痛感することは、サプライチェーンを左右する本当の力は最終消費者にあるということです。買い溜めして供給側に増産を迫ることもできれば、他者を慮って電力が余るほど控えることもできる。まさに「お客様は神様」です。

買い溜めで在庫が払底して、増産につぐ増産をしているメーカーは、さぞかし儲かるだろうと思われているかも知れません。しかし、実際は逆になります。無理な増産や供給のためには、効率の悪い設備を動かしたり、無理な残業をしたり、遠くから運んだりして、余計にコストがかかります。

余計にコストが掛っても、余計に売れればよいのですが、買い溜めしたからといって最終消費量が増えるわけではありません。つまり、買い溜めされた商品は消費者のところで「在庫」として積み上がっている。いずれ消費者自身がそのことに気付きます。

自分の過剰在庫に気付いた消費者は、今度は買い控えを始めます。いつまで?。過剰在庫=買い溜めした分がなくなるまでです。つまり、メーカーがいま増産している分は、通常であればもっと後に生産する分を先食いしているに過ぎません。あとから見れば販売量の合計は一緒だったということになる。

通期での販売量は一緒で、コストは余計にかかる。買い溜めによって供給者側も損をする理由です。さらに悲劇的なのは、買い溜めに対して真っ正直に増産した場合、在庫のかなりの部分が滞留して廃棄されたり、投げ売りされたりすることになるだろうということです。

多くの供給者(メーカーや卸売・小売業者)が過去の販売実績に従って必要在庫量を計算し、必要在庫量を満たすように生産量や仕入量を決定しています。これが悲劇の原因になります。詳しい説明は省きますが、急に売れ出すとそれ以上の勢いで増産、追加仕入することになるからです。

増産して在庫が追いついたころ、今度は買い控えが始まります。当然、店舗や工場の在庫は回転が急激に鈍って賞味期限切れなどのリスクが高まります。困った供給者は投げ売りするか、最悪賞味期限切れなどで廃棄するということにもなりかねないということです。

社会全体のコストとして考えも、買い溜めは誰の得にもなりません。しかし「お客様は神様」。お客様の意思を供給側が変えるのは容易ではありません。何とかならないのかというと、ひとつ手段があります。

買い溜めが起きている商品の値上げをすることです。「弱みに付け込んで」と思われるかもしれませんが、社会全体のコストから考えて合理的なことだと思います。

具体的にイメージしてください。ガソリンスタンドに並んで順番が回ってきたとき、いつもと同じ値段だったら「この際満タンで」と頼むでしょうが、もし一時的な3割増しだったら?。店側から制限されなくても必要量だけにするのではないでしょうか。買い溜めを抑制する効果です。

先ほど書いたように買い溜めに応えるには追加コストがかかるので、値上げはそもそもやむを得ないことです。そのコストを消費者側に示して合理的な判断を促すことにもなります。SCMは奥が深い。

SCMと資源の消費

東北地方太平洋沖地震に被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

今日、コンビニに出かけました。棚にはだいぶ商品が並ぶようになり、いつも通りの営業に戻りつつあるようです。
菓子パンを一つ買いました。

さて、このようにようやく元に戻ってきたオペレーションですが、そうなるまでには多くの方々の多大な労力があったはずです。
この菓子パン一つとってみても、サプライチェーンの複雑かつ様々なプロセスの集積があって初めて完成したものなのです。

小麦粉、水、イーストがあれば、パンは作れますが、「製パン」という「製品」「販売」するにはそれだけでは不十分です。
衛生的なビニール袋に包み、クレートと呼ばれるプラスチックのケースに載せ、円滑に流通させる物流システムがなければ店頭に並ばないのです。
そして包装に貼り付けてある製品表示のシール。たかがシールですが、これがなければ食品衛生法違反となり販売できません。

SCMが正常に稼働しているときは、これらの全てが滞りなく流れ、その存在を気に止めることもありません。
一方、現在の状況ではSCMは混乱し、幾つかは回復すらしていません。そんな中では、これら小さな要素の一つでも欠けるだけで、たちまち製品は店頭に届かなくなってしまうのです。

この混乱のもとで菓子パン一つを元通りの流通経路に乗せるには、もしかすると大いなる損失が背後にあったかもしれません。

一般に、企業は非常に厳格な品質基準を設けています。曰く、
・外箱に汚れがあったら納品しない。
・少しでもラベルが曲がったり、傷があったら納品しない。
・xxという原材料はxx度以下で温度管理され、納入後xx分以内に投入されなければならない。
・原材料投入後、xx分以内に全工程を完了し梱包しなければならない。
等です。

この混乱のもとでは、外箱に汚れが付着していたかもしれないし、生産機械も安定せず、ラベルも曲がったりするかもしれません。菓子パンの材料となる生クリームは、停電のため温度が上昇し、廃棄されたかもしれません。
そして、貴重なガソリンを使って運び、何とかしてかき集めてきた原材料を投入しても、途中で停電となって品質基準を満たせずに廃棄になってしまったものも数多くあるかもしれません。

災害復旧のためには、一日も早く供給能力を回復し、少しでも多くの製品を供給することが期待されます。一方で、混乱のもとでは通常通りの低い不良品率で製造することは困難であり、貴重な資源をある程度浪費することを許容しなければなりません。その貴重な資源が無駄にならなければ、別の何か、緊急を要する別の製品のために費やすことができたかもしれないのです。

この状況下で貴重な資源を少しでも無駄にしないよう、品質基準を下げることも考えられます。外箱に多少汚れがあっても、傷があっても、本来の品質に影響はないかもしれません。通常、品質基準には高いマージンがあるので、基準を引き下げることが即事故につながるわけではありません。しかしながら厳格な基準を逸脱することは、混乱のどさくさに紛れて消費者を騙した、と社会的に大きな批判を受けるかもしれません。

正常な製品を製造するために貴重な資源を多数浪費するよりは、いっそのこと操業しない、という選択肢もあり得ます。しかしながら、人命の掛かった状況下において供給責任を果たせないことになるかもしれません。

いずれも一長一短があり、どれが絶対的な正解というものではありません。しかし、いずれかを許容しなければ社会的な要請に応えられないことも事実なのです。

ようやく店に届いた菓子パン一つを手に取って、そんなSCMの裏側を見つめてみました。
一日も早いSCMの回復を祈ります。

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